リスタート!

 
 「リスタート!」と声に出して生活しているこの頃。忙しさも状況もほとんど変わっていないけれど、とにかくまずは気持ちからリスタートして前に進むのだ。
 しかし、ビックリマークがついている割にやりだすことは地味で、たぶん大方の人に心当たりがある「片付け」だ。いわゆる断舎離ってやつかな。ずっと気になっていた粗大ゴミの処分や、すすけてしまった壁面の掃除など、とにかく1日1ヶ所はどこかを片付けたり捨てたりする。なんとまあ地味だけど、ふと落ち込みそうになった時に頭をぶるぶる振って「リスタートだっ」と棚の1ヶ所でも片付けると気分が立ち直るから、小さくても目に成果が見えるというのはやはり効果がある。
 減らすものもあるなら増やすものもなくてはと、ついでにリスタートしたのは、10年前にもやっていたアイデアマラソンというやつ。これ、樋口健夫という先生が考案したものらしいんだけど、すごく簡単に言っちゃうと、なんでもいいから1日1つはノートにアイデアを書き溜めていくというもの。思いついた自分流格言でもいいし、効率の良い掃除のアイデアでもいいし、温暖化やゴミ問題を解決するための壮大なアイデアでもなんだっていい。とにかく思いついたアイデアを書いていく。1日最低1個でいいなら気が楽だし、どんなジャンルのアイデアでもいいと思えば更に気楽で、いざノートに向かうとたいがい2つや3つは出てくるので、1年で1000個ぐらいのアイデアは当たり前に溜まる。それはなかなか壮観だし、後で読み返すと「ほお、これは面白いなあ。よくこんなこと思いついたな」と思うアイデアも結構ある。僕はこれで脚本やエッセイを書く時に助けられたことがずいぶんある。それを「リスタート!」として再開しようと思っている。
 ちなみに、昨日書いたアイデアは、『水が要らない洗車グッズ』。なんだそれ。でも、そんなものが安価であれば砂漠とかの地方では大喜びされるだろうなあと、ふと思って。別に本気で商品開発しようと思ってるわけじゃないけど、ただ書き留めておけば、ある時に何かのアイデアと組み合わさって本当に何か発明できちゃう可能性がないとも限らないし、そんな大それた成果にならずとも、例えば今書いている脚本の登場人物にその研究者という設定をあてることもできるし、なにがどう花開くかわからない。いや、花開かなくてもいいのだ、後で自分で読み返して楽しければ。
 そしてもうひとつ、自分の中で大きなリスタートとして始めたのは、言葉についての、ある実験。
 実は僕はこれから、「戦う」や「闘う」という言葉をなるべく使わないように生きてみようと思うのだ。
 思えば、思春期の昔からずっと、「こうあるべき」という考えと闘い続けてきた気がする。常識はただの多数決意見に過ぎないのだから少数派が間違っているとは限らないし、「平均的」と「普通」は違うのだと、今でも強く思っている。でも、この歳になって、ある日急にはっとしたのだ。なんで僕は「闘う」という言葉を使うんだろうって。もしかしたら「闘う」という言葉の勇ましいイメージやカッコ良さに酔ってただけで、本当の意味では前に進めていなかったんじゃないかって。
 考えてみれば、誰もが「戦う」という言葉が好きだ。平和運動の人たちでさえ、「平和のために力を合わせて闘いましょう」なんて言ったりする。「平和のために努力しましょう」と言えば済むことなのに、なんでわざわざ「闘う」なんて矛盾した言葉を選ぶのかというと、たぶん自分たちを鼓舞して気分を盛り上げたいということなんだろうけど、気分を盛り上げなきゃ平和に進めないなんておかしいし、本当に平和を望むなら、もっと淡々と、穏やかに、にこやかに、諦めずに進むべきだ。柔らかい言葉じゃピンとこないというなら、それは本当には平和を望んでいないんじゃないかと思う。銃だろうが言葉だろうが、結局は自分の思う正義で屈服させたいのなら、それはまぎれもなく戦いだし、その行き着く先には本当の平和はありえないと思うのだ。
 戦いは、自分か相手かどちらかが勝者にならざるをえない。話し合い、お互いが理解し合い、お互いが変化し、どちらもより良く生きるというのが、真の平和だと思うし、もし本当にそれが欲しいのだとしたら、まずは「戦う」という言葉を日常生活から減らしてみたらどうだろうと思ったのだ。今、「新しい挑戦」と書こうとして、「挑戦」も戦いだなと気がついた。普段の言葉に「戦い」は本当に当たり前に浸透しているんだなと思う。
 戦うことが好きだというのが人間の本質なんだろうか。お釈迦様でさえ、悟りを開く前は、悪魔の誘惑を8つの軍隊に例えて戦い、「破れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ」なんて言葉を使っている。精神的な戦いであれ、やはりそれはたぶんにヒロイックだ。
 「闘う」なんて言葉はゲームとかスポーツでだけで十分だと思う。それにしたって「競う」という言葉に置き換えられるわけだし。
 「言葉の使い方だけじゃなにも変わらないよ」と言われるだろうか。でも僕は、少なくとも自分の心の中の問題に関しては、これから「闘い」ではなく「努力」という言葉に置き換えてみようと思っている。戦わずに、ゆっくりじっくり関わっていこうと思う。そう気をつけていると、自分の内面に何か変化が現れるのか楽しみだし、もしかしたら今までにない何かが見えてくるかもしれない。そんなことを言ってて、もしかしたら数年後はまたやたらに「闘う」という言葉を使うように戻っているかもしれないけれど、とにかく、今の僕はそうしてみようと思っている。僕は『戦わない人』を目指してみたい。戦いを選ばずに解決を目指す、気長で腰の据わった『しぶとい強さを持った人』に近づいていってみたい。
 リスタート!
 

(2018年12月)