演技の意味

 娘が三歳頃のこと。夜遅く仕事から帰り、ふすまを開けて娘の寝顔を覗いていると、お茶を淹れながら嫁さんが、「今日ね、パパの役をやったのよ」と言った。
「あー、やらされたの。ここんとこずっと遊べてないから、身替わりだ」
「それが、そうじゃないのよ。あたし、びっくりしちゃった」
「なにが」
 よく聞いてみると、おままごとでパパの役をやったのは、娘の方なのだという。最初は普通のおままごとだったのが、ふと、僕がよくかぶっている赤いキャップを見つけると、それをかぶって、嫁さんを相手にいきなり僕の役をやり始めたらしい。
 その設定に驚いた。それは「ただいまー。あー、おなかすいた、ごはんちょうだいー」みたいな単純なおままごとではなく、きちんとしたストーリーがあって、パパが仕事に行って、仕事先の相手から、娘のためにお土産をもらってくるというもの。娘は、お仕事のお友達という役を嫁さんに与え、「これ、娘さんにどうぞって、渡して」と包みを渡すようにと指示をして、「わあ、ありがとう。これ、すごく、よろこぶよー」なんて台詞を、パパになりきって喋っていたらしい。そのあと嫁さんに、今度はなんと自分の役をやらせ、パパとしてお土産を渡したのだという。そしてそのストーリーを何度も繰り返したらしい。
 なんという想像力! 僕はすっかりまいってしまった。
 パパが仕事をしているところを見たことがない彼女は、まだ「お仕事」というものがどういうものなのかは、きちんとわかっていない。だけど、とにかく、外に出かけていって何かをしなければいけないことだとはわかっている。そして、パパは帰りにお土産をよく持って帰ってくる。それを組み合わせて、自分の精いっぱいの想像力の範囲で、パパのお仕事のイメージを組み立てたわけだ。
 彼女は、きっと、寂しかったんだと思う。本当はずっと一緒にいたいんだけど、でも一緒にいられない。パパもそう言う。だけど、本当には、どうしてパパが仕事に行かなくちゃいけないのかがわからない。だから、そのことを納得するため、自分でパパの役をやってみたのだ。自分ではっきりとそう意識してやったことではもちろんないだろうけど、でも、パパになってみることでパパの気持ちを想像してみたり、いつも家にいないことを自分に納得させてみたり、お仕事で出かけなくちゃいけないのは自分のためなんだと思ったり、そんな心の整理を、娘は、演技をすることで、していったのだと思う。実際、娘にとお土産をもらって喜ぶところや、それを渡して嫁さん演ずる娘役をぎゅーっと抱きしめるところなどはお気に入りの場面らしく、特に演技に熱が入っていて、何度も何度も繰り返しやりたがったらしい。
 自分がパパになって、自分を抱きしめてあげるなんて、なんてすごいんだろう。そのいじらしさに涙が出たのと同時に、彼女が自分の力で気持ちを整理していったというその強さにも感動した。
 たぶんこれが、人が演技をする理由、演技の本質のひとつなのだろう。
 人の気持ちをわかるため。そして、自分の心を納得させるため。
 そう。演技は、役者だけのものではなく、生きている誰もがしていて、また、絶対に必要なものなのだ。演技は、誰かを騙すための技能ではなく、もっと、人間として根本的なものなのだと思う。
 だから、ぬいぐるみであれ、アニメの登場人物であれ、パパであれ、自分ではない誰かになりきってその役を演じるおままごとは、子どもの成長過程において本当にとても大事なことなのだ。言葉で説明されても、自分がその気持ちになってみなければわからない。相手の中に自分を見、自分の中に相手を見ることで、初めて人は人に対して優しくなれる。ただ、優しくしろと言われても無理なのだ。人の気持ちを理解するために、ある設定を与えてその役を自分なりに演じてもらうことを、教育の現場ではロールプレイなんて言うけれど、つまりはこれもまったく同じ。ひらたく言うと、おままごとだ。そして、このおままごとこそが、実は、人間にとって必要なことなのだ。
 逆に言うと、おままごとをしないで育つと、あまり人の気持ちのわからない子になってしまうのかもしれないな、などと思う。