忘れるワタシ

 
 記憶力の低下が激しい。老人力が増したなあ、なんて笑ってる場合じゃないかもしれない。ある時、人の名前に関しては忘れてもいいと自分ルールを許したんだけど、最近はそれどころじゃなくて、目が合って「ああ、どうも!」と反射的に言った瞬間、「あれ?でも何を一緒にやった人だっけ?」となることすら増えてきた。顔は確かに覚えているんだけど、誰だか思い出せない。大変な仕事ですごく濃い時間を一緒に過ごした人のことも、仕事の名前を言われるまで思い出せないことがよくある。懐かしい印象と好意だけが残っていて、具体的には何も思い出せない感じ。記憶の糸を一本でも掴まえられると、それを手繰り寄せて「ああ、そうだった!」と記憶が次から次へあふれだすことも多いけど、ただすれ違いざまに挨拶した時なんか、誰だったか結局思い出せずじまいのこともある。
 だから「覚えてますか?」なんて話しかけられるのは、もう一種の恐怖。覚えてなきゃきっとがっかりさせちゃうだろうなと思いつつ、内心、「そんな聞き方すんなって!」と逆ギレしそうになったりする。だからそろそろ、「ごめん!歳とっちゃって記憶力がぼろぼろなのよ。言って。そしたらすぐ思い出すから。忘れたんじゃないの。取り出し方がわからなくなっているだけなの」と明るく言う練習をし始めている。まあこれは、記憶力のせいばかりではなく、今まであまりにたくさんの人たちと仕事をしてきたせいでもあるだろうし、仕事とプライベートの人間関係にあまり境目のない生活をしているせいもあると思うから、けっこう本当のことではある。
 ふと思いついたアイデアを忘れちゃいけないと思ってキーワードをメモしたものの、後で読み返すとなんのことなのかさっぱりわからないなんてことは昔からよくあったけど、メモしようとiPhoneのメモ帳を開いた時点で何を書こうとしたのか忘れてることさえ、最近はよくあるからね。そんな自分にホントがっかりする。どこでそのアイデアを思いついたのか、その時の状況のクオリアは思い出せるのに、内容だけが思い出せない。なんとか思い出そうと、同じルートを歩いてみて同じ状況を作り出してみても、クオリアだけが「こんな感じ!」と反応するだけで、肝心の内容はまったく戻ってこない。そんな風に永遠に消えていったアイデアがどれだけあるだろうか。まあ、それが良いアイデアだったとは限らないけど。
 役者としては、セリフ覚えは早い方で、急に長台詞を渡されてもうろたえることはあまりなく、「よくまあそんな長いセリフをすらすらと言えますね」感心されたりもするのだけれど、そのかわりカットがかかって「OK!」という言葉が聞こえた瞬間にさーっと見事に全部忘れてしまう。脳みそが次のセリフのためにメモリを空けようとするのかわからないが(そんなにメモリ容量が少ないとも思えないのだが)、そんな変な癖がついてしまっていて、録画チェックの際にノイズが判明して撮り直しとなると慌ててまた覚え直さなきゃならないなんてこともあるので、なるべく「OK!」という言葉を信じないように、その日家に帰り着くまではセリフは覚えているようにと自分に命令しているほどだ。だから、記憶力が低下したというよりは、忘れグセがひどくなったということなのかもしれない。
 本棚を眺めても、昔読んで強烈に面白かった印象があるのに、具体的なストーリーは何一つ思い出せないことがよくある。ぱらぱらとめくっているうちに、ああ、そうだったとなることもあれば、うわあ面白いなあなんて、初めて読むみたいに最後まで読んじゃうこともあったりして。何度でも楽しめるからいいじゃないって?でも、内容全部忘れちゃうんだったら、そもそも読んだことにならないんじゃないかしら?
 なんてここまで書いてきて、あれ、こんな文章、前にも書いたことあるんじゃない?って、そのことに関しても急に自信がなくなるワタシ。書いたことあるような、曖昧な「記憶のようなもの」もある。40年間一度も思い出しもしなかった些細な記憶が急に戻った不思議をどこかで書いた気がする。でも、それがどんな記憶だったのかとかどこに書いたのかはよく思い出せない。本当に書いたのかもわからない。書きたいと思って頭の中で文章を紡いだだけなのかもしれない。この、自分の記憶が本物かどうかわからないという不安。このままいくと、フィリップ・K・ディックの小説みたいに、自分という存在にまで確信が持てなくなるんじゃないかしら。うわあ。ジョン・コートルという人が書いた『記憶は嘘をつく』(講談社刊)という面白い本があって、人はみんな記憶を作り変えながら生きているというから、オリジナルの記憶なんかもう取り出せないんだろうね。
 もっと歳をとっていくと、どうなるんだろう。楽しい記憶に比べてネガティブな記憶の方が残りやすいと聞くし、辛い記憶は自己防衛機能で消去するとも聞く。もうここまできたら、具体的なエピソードはどんどん思い出せなくなってもあきらめるから、せめて、楽しい人生だったなあという印象だけ残ってくれたら、と願うばかり。テクノロジーが発展するとやがて身体に超小型カメラとマイクが埋め込まれて生まれてから死ぬまでをすべて記録できるようになるんだろうけど、それを再生して「ほら、あの時こう言ってたじゃん!」て会話が行われる時代までは生きていたくないなあと思っている。
 

(2018年10月)