パパとママが死んだら、どうしたらいいの?

 
 普段、僕が出演してるドラマを家族全員で見ることなどほとんどないのだが、とてもよく頑張ったのでこれは見てほしいなと思う作品があって、珍しく家族3人そろってわざわざオンエアで見た。
 ドラマの中で僕は癌を患っていたのだけれど、数日して、雑談の途中で娘が急に、「お父さん、癌なんかにならないでよ?」と冗談めかして言った。
「まあ、お父さん、人より頑丈だからならなさそうだけどさ」とつけ足す娘。最近は学校と部活に夢中で父との会話の時間を時々惜しむかのような彼女だけれど、やっぱり心のどこかで心配してくれてるんだなと嬉しくなった。なにしろ、学校から帰ってくると、すぐさま、お母さんに今日はああだったこうだったと夢中で喋りまくるから、僕が「今日はどうだったの?」と聞いた時には、「2度言うのめんどくさいから、お母さんに聞いてー」なんてことがよくあるのだ。
 確か、娘が小学校2年生になってだと思う。ふと、「お父さんとお母さんが一緒に死んじゃったら、どうすればいいの?」と聞かれた。
 その言葉を聞いて、成長したなあ、と実感した。
 まだ幼稚園の頃、やはり突然に(こういう会話はいつも突然だ)、死んじゃダメだよと言われたことがある。死ぬ時は一緒だからねって。すごく真剣な表情の彼女に、その時は「わかった」と応えた。そういう時には、「順番があるんだから、お父さんの方が先に死ぬのは当たり前なんだよ」なんて現実的なことを言ったってしょうがない。きっと、死ぬっていうことがあるって知って、でもそれがどういうことかはまだ想像できなくて、でもとにかく、もう2度と会えなくなくなっちゃうんだっていうことだけはわかって、不安でいっぱいになったのだと思う。死ぬ時は一緒だよと約束すると、娘はほっとしたようだった。
 そんな彼女が、小学校2年になって、もし自分一人が残されてしまったらということを想像して、現実的にどうしようと考えたのだ。後を追って自分も死んじゃおうではなく、その先の自分の人生のことを考え、どうしたらいいか相談したということなのだ。頼もしいと思った。その生命力の逞しさに嬉しくなって、心の底から感動した。
 死んだらどうなるの、なんてことも、カミさんに聞いていたらしい。不思議で怖いのは同じでも、幼稚園の時とは違って、ファンタジーから抜け出して、自分自身の力で人生を踏みしめていく準備をしているのだなと、頼もしく思った。
 こういう時は、逆に茶化しちゃいけないと思った。「お父さんとお母さんいっぺんに殺さないでよー。一緒に死のうよー」なんてまぜっ返しちゃいけない。真剣な相手には真摯に返さなければと思った。カミさんとふたりで外出中に交通事故に遭う可能性だって確かにあるのだから。
「まず、お向かいのおじさんおばさんのトコに駆けつけな。それで、お父さんとお母さん死んじゃったんですけどどうしたらいいですか、って聞きな。なにもわからなくても、質問をされて自分にわかることだけ答えてたら、あとは全部おじさんたちがやってくれるから、心配しなくていいよ。RちゃんやMちゃんちのみんなもすぐに駆けつけてくれるだろうし、そのうちの誰かがきっとじいじばあばにも代わりに連絡してくれるだろうから、あっちもすぐ駆けつけてくれると思う。自分で全部なんとかしなくちゃいけないなんて思わなくていいの。大丈夫。みんないい人たちでしょ?」
 うんと頷く娘。
「それでお葬式までは済んじゃう。そのあとのことも、大丈夫。のんちゃんが大人になるまでぐらいのお金ならあるし、誰と一緒に住むことになるかわからないけど、ひとりになることなんか絶対にないから。誰かが必ず「ウチの子になる?」って聞いてくれるから。その中の、好きな人の子になりな」
 しばらく黙っている娘。今聞いたことを自分の中で一生懸命反芻しているのだろう。頷くのを待っていたけれど、そのまま動かないので、肩を抱くと、ぎゅっと身体を寄せてきた。しばらく黙ってふたりで身を寄せ合っていた。
 幸せだなあと思いながら。

(2017年11月)