結婚指輪率

 昔から、腕時計とか指輪とかが苦手だ。ネックレスなんて、もう想像を絶する。身体にぴとりとなにかがくっついているのが、うっとうしくてしかたないのだ。
 もちろん役者の仕事となれば、役柄によって当然つけなければならないので、我慢を出来るように訓練はしてあるけれど、本当をいえば、状況が許せば、靴下はおろかズボンやシャツだってつけていたくない。だから、ウチの娘が幼稚園から帰って来るなり靴を脱いだ勢いであれよあれよとパンツと下着だけになっちゃうのを見ると、ああ、血は争えないなあと思ったりする。
 そんな自分なので、当然、結婚指輪などはしていない。というか、買いもしなかった。だけど、するしないは別として、嫁さんは、結婚指輪ぐらいは一応持っておきたかったんじゃないかなあと、頭の隅で思ったりしたことはあった。
 そのせいか、去年、我が家の大きな借金をようやく返済し終わった時に、ふと、これを記念に結婚指輪を買うなんてのもありかなと思った。どうせこの人とは添い遂げるんだろうし、いや、どうせという言い方もおかしいけれど、まあとにかく、なにかそういう指輪がウチにひと組ぐらいあってもいいかという気分になったわけだ。
 そう思い立つと、今度はもう、どんなものがあるのか、すぐ見に行ってみたくなる。飽きの来ないデザインで、高くないヤツがいいな。借金がなくなったからって金持ちじゃないんだから、見栄を張っちゃいかんぞ、うん。なんてことを考えながら家を飛び出すと、やはり自然と、世の皆はどんな指輪をしているのかが気になって、行き交う人々の左手薬指にやたら目が行く。デパートに着いたらもう、エスカレーターの手すりに乗っている手という手を、目を皿のようにして片っ端から観察しまくり。
 ……と、そこで「んー?」となった。
 とても少ないのだ。結婚指輪をしている人が。驚いたのは、それが若い人たちだけではないということだった。僕とかそれ以上の年齢の人でも、左手薬指に指輪をしている人の数が驚くほど少ない。まさかみんな独身ということもないだろうし、あまりに貧乏で質屋で流しちゃった人ばかりでもないだろうと思うと、なんだか不思議な気持ちになってきた。というか、結婚している人はたいがい結婚指輪をしているんだろうと思い込んでいた自分の常識に急に不安を感じた。
 これは、自分が住む横浜だけの現象なんだろうか、それとも日本中みんなそうなんだろうかと、なんだか変なことまで気になってきたので、宝石店に行くのもそっちのけで、その日から、電車の車内でも街中でも、とにかく人々の左手薬指を注意して観察してみるようにすると、やっぱり、どこに行っても結婚指輪をしている人は少ない。
 少しわかったのは、たとえばデパートの店員や銀行員など、高価な商品を勧めたり大きなお金をお客様とやりとりする人(の、特に男性)は、ある年齢以上はほぼ全員指輪をしているということ。これはおそらく、昔ながらの意識で、自分が常識的で信用できる人間であることを結婚指輪でアピールしている、つまり、「誠実」という記号的な意味なのだろうと思った。
 でも、その記号的な意味は、もう世間一般では、いらないということらしい。現代では、あの人は結婚指輪をしていないから常識や責任感がなさそうと思われることはない。まあ、そのこと自体は良いことだと思うのだけれど、僕が気になるのは、なぜ、いつ、そう変化したのか、だ。ドラマの現場では既婚者役の時には当たり前のように小道具サンから指輪を渡され、またそれを疑問もなくつけていたものだから、変化に気がつかなかったのだと思う。そういう面では、現実に対して常に敏感でなければいけないはずの我々ドラマ屋のセンスが、気づかないうちに古くなってしまっているかもしれないというやばさまで感じた。
 詳しい統計はおそらくないだろうけれど、僕が子供だった高度経済成長時代から比べると、結婚指輪をしている人の割合は圧倒的に少なくなっている。それが何を意味するのかは僕にはわからないけれど、それが今の日本のなにかを反映していることは間違いない。
 たぶん、日本が平和だということは少しは関係していると思う。今でも、中東やアジアを旅すれば、市場の金細工や宝石店は変わらず人気だし、人々もそれらを身につけるのがとても好きだ。そしてそれらは、装飾品でありながら同時に、財産でもある。急な政変や災害が起こり、着の身着のままで逃げなければならなくなった時、頼りになるのは、それらの身につけた財産だ。今の日本には、そういう備えから装飾品を身につけている人は、ほとんどいないと思う。
 だけど、理由は、絶対にそれだけではない。もっともっと、なにかがあるはずだ。皆がある日急に結婚指輪なんてしたくないと強く思ったはずもないし、一回買っちゃった以上、「していてもいい」物だったはずで、それが「しない」物に移っていったのには、なにか意識の変化があったはずなのだ。ただ、あまりにぼんやりとした変化で、僕にはなんの仮説も立てられないでいるのだけれど。
 結婚指輪率、なんて言葉はないけれど、こんなところを真剣に調べていくと、現代の日本の新しい姿が見えてくるのかもしれないと思う。