突っ伏す人たち

 
 図書館や喫茶店で、参考書や資料を広げた上に突っ伏して寝ている人。
 あれ、この世の中で最もみっともない光景の一つだと思う。
 だって、あの光景を見て微笑ましい気持ちになったり、感慨でじんわりと胸が熱くなったりする人って、一人もいないでしょう? 突っ伏している本人ですら、他の人がそうしているのを見て、好感を持ったり恋に落ちたりすることは絶対にないと思うのだ。「ああ、あの広げまくっている隣の席に座りたい!」とか、誰か思うか。
 しかし、どんなことからも得るものはある、という自分の信念に立ち返り、今日は近所の喫茶店で突っ伏している人たちをじっと観察してみたが、やはり、気分が悪くなるだけだった。しまった。
 それにしても、なんであそこまで荷物を広げる必要があるんだろう? ノートや筆箱はまだしも、携帯やらヘッドホンやら財布やら、とにかくありったけの物を両脇の席にまではみ出させて、なおかつそれを活用せずに突っ伏してるといあの状況。隣に座りたくないというだけじゃない。その行為が、店全体の空気を決定してしまうのだ。おまけに、乱雑さとよどみを店中にかもしておきながら、その本人は、邪魔されたくないといわんばかりにイヤホンを耳に突っ込んでいたりするのが、なんともまたこちらを嫌な気持ちにさせる。
 もし眠くてしかたないのだったら、ダメな時はダメだと、さっさと参考書をたたんで、近所の公園にでも行って昼寝をしたらいいのにと思う。俺なんか、あきらめ早いぞ。百歩ゆずったとしても、せめて荷物を一旦たたんで自分の鞄にしまってから寝ればいいじゃんかと思う。その方が自分自身もなんぼかすっきりするだろう。
 でもそうしないのは、荷物を広げておくことで、「ええ、もちろんワタシはこれから勉強を続けるとこなんですよ。今、突っ伏しているのは、ほんの一瞬だけのことで、すぐにまたやり始めるんです。ホントです」と、周囲の人たちに向かって言い訳をしているわけでしょ。そこが、なんか、ずる〜くて、嫌な感じがするんだよね。とうの昔に飲み終わっちゃったグラスなんか、もはや手が届かないほど一番遠くに置いてあったりしてさ、でも片付けないのは、「一応客ですから」という言い訳のためでしょ。必要以上に本を置いてるのは、「ホントに本気で勉強するつもりはあるんですよ」という言い訳。でもさ、こっちはあなたの先生でも家族でもない赤の他人なんだから、その言い訳、ターゲットが間違ってるでしょ。本当に我慢が出来なくて思わず突っ伏してしまったのなら、少しは可愛いくは思うよ。突っ伏す瞬間にゴツッて机におでこをぶつけちゃったりして、すっごく痛いんだけど眠気の方が勝っちゃってそのまま寝ちゃったりしたらかなりグーなんだけど、全然そういう愛嬌はない。なんか、眠りたいという気持ちより、言い訳の方が主張として表に立っちゃってるというか、むしろそっちに重点が置かれちゃってる感じがする。でも、繰り返すけど、知らない人に向かって言い訳しても意味がないし、そもそもそのパフォーマンスによって同情心をかうことは無理だと言うことにまず気がつくべきだ。お客さんの反応を想像できない演技って、無残だと思う。
 とにかく、そんなみっともない言い訳より、思いっきり口開けて豪快に寝ていられる方がどれだけいいか。人んちの会社とかに行っても、やりかけの資料の上に寝ている人より、デスクの下に上半身突っ込んで床で寝ている人とか、わざわざマイ枕を持ち込んで突っ伏している人の方が、断然好感度が高い。また、そういう大胆な人の方が結局は良い仕事をしてくれそうな気がする。
 あ、今、わかった。つまり、実際に溢れているモノなんかより、ずるさが嫌なんだ。そこには、「金を払えば客だ」とか「公園に行って寝てから戻ってきたら、また飲み物代を払わなくちゃいけないし、混んでてもう席がないかもしれない」なんていう言い訳ばかりが透けて見える。他にもこの席に座りたい人がいるだろうということ、お客さんが回転しなければ喫茶店は潰れてしまうかもしれないことなどは、まったく(なのか、あえてなのか)考えず、自分の言い訳だけを主張している。その想像力のなさが、僕には、たまらなく気持ち悪いんだと思う。つつましさも気遣いもなく、言い訳ばっかりにとらわれて、その主張が誰にも届かないものということにも、自分のみっともない姿にも気がつかない、そのみっともなさが、身もだえするぐらい嫌なのだ。
 でも、まあ、考えてみたら、想像力のない人の方が主張をしたがるものかもしれないね。なんでも仕切りたがる人より、いいよと穏やかに皆に合わせている人の方が、絶妙なタイミングでぽそっと、「なんでそんな突飛なアイデアを思いつけるのー?」というような面白いことを言ったりするものだ。
 ということで、得るものは、あった。
 今日の発見と教訓。
「想像力のない人ほど、意味なくはみ出した主張をする」
「想像力のない人は、想像力のない主張をする」
「演技は正しい相手に向かってしよう」
「演技が言い訳にならないように気をつけよう」
 こんなところで、どうだろうか。