共感

 数年前から自分の中に、なんともうまく説明できない新しい感覚を感じるようになった。「共感」とでも説明するしかないその感覚は、普段の生活のふとした瞬間に突然起こる。
 たとえば、ふと夜空を見上げている夜。じっと夜空を見上げているうちになにか畏怖のような感情を感じたことは誰の子ども時代にでもあると思うが、そんな気持ちを久々に感じていると突然に、昔々の時代、ガリレオが自作の望遠鏡で初めて月を覗いた日にふっと意識が飛んでしまったりする。月の表面にはでこぼこがあるということを発見し、今その事実を知っているのは人類でたった一人、自分だけなのだということに打ち震えている彼の心を想像し、自分も全身が震えてしまうのだ。その日から毎晩毎晩夜空の星という星を無我夢中で観察している時のガリレオの感情を、自分も感じてしまう。それはもちろん想像なのであるけれど、温度や湿気や微かな匂いまでともなうほど、自分の中では圧倒的なリアルで、まるで映画「マルコビッチの穴」で意識がマルコビッチの中に入ってしまう感覚みたいで、だから「想像」というよりは「共感」と言ったほうが、自分にはしっくりくる。ガリレオを幽霊のように見つめている自分と、ガリレオの感情そのものを感じている自分が一緒にあって、なんとも奇妙な感覚だ。
 不思議なのは、そもそもガリレオが好きだったわけでも興味があったのでもなんでもないこと。最近本で読んだとかテレビで見たというのもまったくない。それなのに、まったく突然に、思ってもみない想像が勝手に始まって、そこに意識をシンクロさせてしまうのだ。
 またある時は、ガリレオよりもっともっと前の、人類がまだ言語を発達させていない古代、家族のために食料を獲りに行き、誤って足を滑らせて崖から落ち動けなくなってしまった名もない男が、じっと夜空を仰いでいる時の複雑な心情に共感してしまう。このまま自分は死ぬのだろうなという想い、家族に会いたいという気持ち、この荘厳な世界にたったひとりぽつんといる中で感じる奇妙な感慨、そんなものがごちゃ混ぜになった感情を感じ、長い間、その男の意識のまま横たわっていたりする。
 かと思えば、深夜の雑木林で、ガムテープにグルグル巻きにされ、自分がこれから埋められるのだろう穴を掘る音を聞きながら恐怖に凍りついている人に共感してしまう。全身が凍てつくような恐怖と、頭の芯がしびれ、感情が麻痺してしまったように、これから自分は死ぬのだな、もうどんなことをしても絶対に助からないのだな、と、冷静に感じている自分がいる。後悔と絶望とあまりの恐怖に浮遊したような感覚。全身から出てくる冷や汗は本物だ。
 見たこともない、会ったこともない、それどころか存在したかも分からない人間にまで、リアルに想像して同化してしまうこの感覚は、いったいなんなのだろう。長年、役者をやったりシナリオを書いたりする中で、人の気持ちを事細かくリアルに想像する癖がついてしまったための、一種の職業病のようなものなのだろうか。それとも、ここ近年、人間の一生というものを考えることが多くなったからだろうか。誰もが歳をとるに従って大なり小なり体験する意識なのだろうか。
 つい先日も、最初は、断続的に続いていていつまでも終わらないイスラエル軍のガザ地区への空爆のことを考え、その下で泣き叫んでいるだろう罪もない子どもたちのことを想い、悲しみと怒りと無力感と共に、なぜいまだに人類はこんなに愚かなのだろうと、ベッドの中で考えていた。そのうち、例の共感が始まり、今度は過去ではなくて、自分が死んだ後に娘が送る人生のこと、その孫の人生のこと、彼らが体験をするだろう様々な出来事や動乱などに、逆の走馬燈のように意識が飛んで行き、しまいには、人類という種自体が終わりを迎え、太陽系が終わり、人類という存在がかつてあったということ自体知るものがない宇宙空間を想い、その宇宙自体が終わる時まで、水面を跳ねる石のように意識が飛んでいって、再び自分に戻ってきた。あまりにその意識が強烈で、へとへとに疲れてしまって、翌日はいつになく遅くまで寝てしまった。たぶん脳味噌が整理するのに時間が必要だったのだろう。そのかわり、目が覚めた時、目からうろこが落ちたようなすっきり感があった。こういうすっきり感は、共感が起こったあとに大なり小なり感じるものだ。そして、今自分がこの世界に生きて、意識を持っているということは、奇跡なんだよな、と思う。そして世界や人や生きることがすごく愛おしくなるという、すごく単純なところに戻ってくるのだ。
 実は、こういうことを書いてしまうと、なにやら宗教や宇宙意識にはまっている人なのかと勘違いされてしまいそうだなと思いもしたのだが、でもそういうことではなくて、とにかくこれがいったいなんなのかわからないので、書き留めておこうと思ったのだ。十年後の自分がこれを読んでどう感じるのかが知りたいということもある。
 でも、わからないのは僕だけなのかもしれない。時々興奮してこんなことを延々としゃべりまくる僕に、嫁さんは、「ん?」とか眉を片方上げたりしつつも文句も言わずにつきあってくれて、あげくに僕が「だからやっぱり積極的に生きようと思うんだよ」なんて結論に着地すると、普通に、うんと頷く。こんなに曲がりくねった僕の言葉がすぐに理解できてしまうのだから、夫婦はすごい。