他人の書いた台詞を借りる

 
 権力を笠に着て恫喝で自分の要求を通すというシーンを、家で練習していた。パワハラ大っ嫌い、ちょっとした上下関係で威張る人を見ても嫌悪を感じる自分なので、普段の生活で恫喝などしたことはないわけだけれど、どうやれば強烈な感じになるのか、声を出しながら色々試していたら、振り切った感じでやればやるほど、ある種の快感を感じることに気がついた。
 一人の人間の中にはあらゆる感情の種が詰まっていると僕は思っているので、パワハラに嫌悪を感じると言いながら、恐怖を与えて支配したいという欲求を同時に隠し持っていた自分に気がついてショックを受けたということはなくて、むしろ興味を持ったのは、演技ってやっぱりある種のストレス発散にも使えそうだなということ。普段の生活では絶対に見せたくないと思っている嫌な感情も、ドラマという架空の設定を借りてなら、思う存分噴き出させることができるわけで、上手く使えば良いガス抜きにもなるのだと思う。
 ドラマの撮影という設定は便利だ。街中で腹の底から「ぶっ殺してやるー!」と叫ぶなどという行為は、頭がおかしいと思われるどころか下手すると捕まってしまうわけだが、傍にカメラがあるというだけで、それが可能になってしまうわけだ。カメラというお墨付きがあれば、3歳児のように「これ買ってー!買ってくんなきゃやだー!」と言いながら床をのたうちまわって泣きゲロなんかしちゃっても全然OK。「これ、本当じゃないんで」って了解してもらいながら、タブーな感情を思う存分撒き散らすことができたら、これ、快感でなくてなんだろう。そしてそれが本物の感情であればあるほど、「上手い」と褒められるというおまけつき。
 道徳の授業でロールプレイを取り入れている学校もあるけれど、これ、思い切り発展させて、「演技」というカリキュラムを作ったらいいのにと思う。自分の感情も他人の感情も良くわかるようになり、ストレス発散までできる。なんと一石三鳥ではないか。
 名前を聞いたら大概の人は知ってると答えるだろう友達の俳優Kくんは、実は極度の人見知りで、人に話しかけると思うだけで脇に汗をかくほどで、一度は会社に勤めたそうだけれど、まったく人に馴れることができなかったというのだが、ある日、他人が書いた台詞を言えば人と話せるんじゃないかと演劇に興味を持ったのだという。そして、実際にやってみると、驚いたことに、想像していたよりはるかに感情を豊かに出すことができたどころか、どんなオーバーなアクションも演技している間は恥ずかしくない自分に気づいたのだという。言ってみれば人とコミュニケーションを取るためのリハビリみたいなつもりでやってみた結果、それが実は天職だったのを見つけたというわけだ。Kくんは、いまだに昼間に素面で会うと何も喋ってくれない時があって、「どしたの?」って聞くと、「いや、なんか緊張しちゃって」なんて言う。これだけ長年の付き合いなのに、面白いなあと思う。演技をしている時とのギャップが大きすぎて、多分、人見知りモードの時のKくんは、みんな想像できないと思う。
 でもKくんに限らず、実は役者には人見知りが多い。実はそっちの方が多いんじゃないかと思うくらい。そして、Kくんのようにある日「演技」を見つけちゃった人が多い。
 自分を出すために他人が書いた台詞を借りるなんて、実に不思議で面白い。そしてそれがとても有効だということが更に面白い。
 病気の子供を持つ親の役をやる時などは、撮影期間中ずっと辛い感情が離れなくて、ストレスが溜まりに溜まってしまう場合もあるけれど、上手な扱い方をすれば、演技というものは、精神衛生を保つためにすごく有効な薬だと思う。
 

(2018年9月)