雨の日の徒然

 
 娘が昔通ってた幼稚園では、雨の日にはレインコートを着てみんなでお散歩をしていた。友達と手をつないで雨の中を2列になって歩くのが楽しいらしく、おかげで娘はすっかり雨の日とレインコートと長靴が好きになり、朝起きて窓に水滴がついているのを見るとニコニコと手を叩いていたことを思い出す。自分も雨は好きな方だから、これは嬉しかった。
 今はそんなに好きではなくなったみたいだけれど、「雨かあ、嫌だなあ」などとは言わないところをみると、嫌いにもなっていないようだ。晴れも曇りも雨も、暑さも寒さも、全部楽しんでくれる子でいてほしい、と思う。

 だけど、今雨が降ると困る人たちもいるんじゃないだろうか、と、あちこちの被災地のことをふと思うと、気持ちが沈む。本当に今年はあまりにあちこちが災害だらけで、ボランティアの人たちもどこに行っていいかわからないほどだと思う。きっと、どこからもボランティアに来てもらえなくて途方に暮れている人たちがいるんだろうな、と思うと、いくら忙しいとはいえ、何もしていない自分に申し訳なさを感じる時もある。せめて、もし自分の土地が災害に遭った時は、できる限り、近くの困っている人たちの力になるように努力しようと決意する。そんなことしか、今日の僕にできることはないなと思う。のんきに「雨が好き」と書いては失礼な気もして、だったら何を書けばいいのかと考えていると、結局言葉を失ってしまう。不特定多数の人に向けて何か喋るとか書くという行為は、本当に難しいと思う。そんな風に感じて黙り込むことが、昔より増えたと思う。
 雨が降ると途端に傘の花が咲いて街の色が一気に変わるのは、日本独特の風景だと思う。日本人ほど傘の好きな民族はいないと思う。外国に行くと、多少の雨なら濡れるのが平気な人が多いし、強い雨の時はレインコートを着ている人も多くて、傘はどこか洒落たものなんじゃないかと思うことがある。
 傘もささずに雨の中をずぶ濡れになって歩いた最後はいつだろうか。下着まで濡れてしまうと、急にどうでも良くなってしまって、濡れることが快感にさえ変わってしまう。
 撮影で降らす雨は、ちゃんと映像に映るようにするために、たいてい強烈で、傘をさしていてもあっという間にずぶ濡れになる。おまけに「傘もささずに」というシチュエーションになると、目を開けているのも大変だ。だけど強烈な雨を浴びた後はやっぱり不思議とすっきりする。
 土砂降りのことを英語でrain cats and dogsて言うけれど、猫と犬の追っかけっこのイメージなのかなと思っていたら、土砂降りになると納屋の屋根から猫や犬が実際に滑り落ちてきたからだという説もあるらしい。
 rain cats and dogsという言葉で思い出すのは、トム・ウェイツの『Rain Dogs』だ。大好きなアルバムだった。これも、雨に濡れた犬というそのままの意味だと言う人もいれば、雨の中で食べるホットドッグ、つまりホームレスのことなんだという人もいた。ジャケット自体は、豪快に笑うふくよかなおばちゃんに顔を埋めて目をつぶっているトムの写真で、これがものすごく良かった。雨でも犬でもないのに、本当に『Rain Dogs』というタイトルにぴったりだと思った。
 でもやっぱり雨の日は、ブライアン・イーノが合うと思う。
 きっと、雨も音楽の一部に思えるからだと思う。
 書いているうちに、もう雨があがった様子。
 明日もまたどこかで雨が降るのだろう。
 どうか、優しい雨が降りますように。
 

(2018年9月)