地方ロケがつまらない

 
 実は近年、地方ロケにあまり魅力を感じなくなっている自分がいる。
 乗り物大好き、行ったことない場所ならどこでも行ってみたい、どんな僻地だってへいちゃら、というよりむしろ望むところという僕が、だ。
 娘がまだ小さい頃は「2週間も地方に行ってると、帰って来た時にもう育っちゃってるからイヤだあ!」なんてわがまま言ったこともあったが、最近のはそれが理由じゃない。
 どうも、日本中どこに行っても風景が同じになってきたように感じて、つまらないのだ。
 地方でのロケでは、国道沿いのビジネスホテルに泊まることが多いのだが、似たり寄ったりの室内から見える風景がまた、どの街もなんだか一緒なのだ。
 大型パチンコ店にチェーンの居酒屋、ゲオとかブックオフみたいなリサイクル店の看板が見えて、ラーメン屋も焼肉屋もコンビニも中古車ディーラーも、ほぼ全部見たことがあるマークと店名で、初めての土地なのに、「あ、ここ、来たことある」と思うのだ。
 旅行の魅力って、そこにしかない風景と文化に出会うことだと思う。その土地特有の屋根瓦の連なりとか、間口が狭くて奥に長い鰻の寝床みたいな家並だったりを眺めてね、ああ、違う土地に来たんだな、と肌で感じながら、とにかく闇雲にその辺りを歩き回って積極的に迷子になって、少しずつ街の息遣いを感じてさ、疲れたら土地の料理が食えそうな居酒屋とかにおそるおそる入ってみて、「この辺は何が美味しいんですか」とか「ここらの若い人はどの辺で何して遊ぶんですか」なんて土地の人とおしゃべりをして、ようやくその土地を少し知った気になる。そんなイメージじゃない? それが、なんなんだろう、この感じ。初めて来た場所なのに、目の前にあるのは、知ってる風景、知ってるメニュー、誰とも喋らなくても不便を感じないで済んじゃう環境。これじゃあ旅行というより「出張」って感じで、なんだかげんなりしてしまう。そんなわけで、わくわく感を感じないままに外に出る気を無くしちゃって、結局、部屋でパソコン開いて、ずっとやろうと思っていたファイルや写真の整理なんかしていることが増えてしまった。
 もちろん古い町並みが残っている場所だって沢山あるんだけど、そういうところもだんだん保護地区みたいになっていることが多くなっていて、さっき言ったような国道沿いのような風景から急にその一角だけ風景が変わっていて、暮らしている人たちの息遣いを感じないというか、昔の町並みを再現したテーマパークでも歩いているような違和感を感じてしまうことが多い。
 あの京都ですら、同じことを感じることがある。僕が若い頃は、京都なんて夜8時にでもなれば真っ暗で、食事も一見さんお断りの店が多かったから、知り合いにわざわざ紹介してもらって食事をしたりするような苦労まであって、すごく面倒臭いんだけれど、違う土地に来たんだと強く感じる面白さがあった。どこから来たかと聞かれて東京と答えたら「ああ、地方から」なんて言われて、やっぱりこちらの人たちにとってはここは何千年も中央なんだなと思ったり、嫁いで30年にもなる女将さんがいまだに京都には完全に受け入れてはもらえないと感じると言うのを聞いて、その独特の文化に痺れたりした。今はそんな強烈な個性は感じないし、お気に入りの場所や店はまだ沢山残っているけれど、でも街全体はやっぱり知っている店名とマークに侵食されている気がする。
 どうしてこんなに一緒にするのが好きなんだろうか?
 どうして、全国均一料金、均一の質、均一の味をそんなにありがたがるんだろう。どこかで流行っているものを自分の近所でも手に入れられないのが不満なのかしら。でもその代償に土地の魅力をなくしてしまったら大損じゃないかな。
 特産品だって全国どこでもネットで手に入ったりするから、もはやその土地に行かなければ手に入らないものなんてどんどん無くなっちゃってる。駅弁だってその駅に行かなくても買えちゃったりするから、「全国の駅弁を制覇したい!」なんてロマンを持ってる人なんてもうきっといないよね。ウチだって家族で富山行ったことないのに「ますのすし」年に何回も食べちゃうもん。土産物だってどこでも手に入れられるから、娘も土産を楽しみにしてくれなくって、お父さん、寂しい。
 考えたら、方言とかもそうだよね。何言ってんだかわからないおじいおばあと苦労してコミュニケーションするのが旅での面白いことのひとつだったけど、今じゃ若い人はほとんどどこでも標準語で、下手すると古い方言がわからなかったりするぐらいだもんね。標準語を喋れるのは悪くないとは思うけど、せっかくなんだからちゃんと土地の言葉も喋れるバイリンガルであってほしい。
 なんで特別を無くしてしまうのかな。すべての土地が唯一無二であればいいのに、なぜ特徴を消して一緒にしてしまおうとするんだろう。というか、それで満足できるのかしら? 日本ていうのは、実は世界で一番社会主義に向いている国なんじゃないかしらと感じてしまうことがある。
 新しい体験をするより「失敗をしたくない」という方を優先する人が多いのは知ってる。子役の子なんかと食べ物や旅行の話をしていると如実に感じるから、若い人は特にそうだと思う。だから、旅行に行っても、チャレンジを避けてよく知ってる店につい入りたくなるのだろう。でも、汚いのれんの店を見つけて、「ひょっとすると、こういうトコが美味かったりするんじゃねえか?」って賭けて、「ほら、オレのカンはやっぱり冴えてるぜ!」か「……あののれん見りゃ最初からわかってたことじゃねえか……」のどっちになるかを楽しむのもまた旅の醍醐味じゃないかって思うんだけど。嫌な思いしたくないのはわからないではないけれど、そのために、もしかしたら一生に残る素晴らしい思い出を逃してるかもしれないと思ったら、代償が大きくないかな。
  でもきっと、理由はそこだけじゃないんだろうな。今はうまくまとめられないけれど、これって、実は日本という国のいろんな問題に繋がっている気がする。だから、きっとこれからも繋がって書いていくことになるのかなって思ってる。
 特色を消すということは魅力も消すということ。魅力がなければ好かれることもない。
 日本て、どこに行こうとしているんだろう。

(2017年12月)