オジギソウを植えてみる

 5月の美しさには、心が浮き立つ。一日また一日と陽の輝きが増していくにつれて、緑もまた、ものすごい勢いで濃くなっていく。まるでフィルターが一枚ずつはがれていくかのように、街が明るく変わっていく様には、毎年、目を見はる。まるで自分まで光合成しているかのように身体の中からエネルギーが湧きだしてきて、わーっと大声を出したくなる。
 若い頃は、緑だけじゃなくて、やたらに女の人も目についちゃって、なんだか違うトコまでむずむずしちゃったりして、人間にもサカリってあるんだなあ、なんて思ったものだが。
 つい先日、ベランダに、オジギソウとサルビアとミニひまわりの種を植えた。
 花の種を植えるなんて、小学生の時以来だ。なにかとても、わくわくする。
 きっかけは、ふと散歩している時に、なぜかオジギソウの遠い記憶がよみがえったこと。触ると葉が縮こまってお辞儀をするのが不思議で、何度も何度も、立ちあがるのを待ってはまた触るのを繰り返したなあと思い出したら、無性にまたあれをやってみたくて仕方なくなってきた。娘があの葉っぱを触ったらどんな反応をするだろうかと思ったら、もう、いつもは前を通り過ぎるだけだったサカタのタネに足が向かっていた。
 店内に入って種を眺めていると、いろんな思い出が次々と湧きだしてくる。花を取ってお尻の部分からちゅっと蜜を吸ったサルビア。本当にずっとお日様の方を向いて回るのかを確かめたくてずっと眺めていたひまわり。秋になったら種を取って食べたりもしたな、なんて思い出すと、もう全部カゴに入れずにはいられない。なんだか興奮してきちゃって、嫁さんの余ったのをちょっと使わしてもらえばいいやと思っていた鉢や土まで新しく買っちゃって、あああ、ずいぶんな出費だ。
 嫁さんは、ただ水をやって時々触るだけでどんな植物もどんどん育てちゃう、グリーンフィンガーの持ち主なんだけど、僕は花を育てるなんてこと、絶対向かないと思って生きてきた。自分の性格につきあうだけでへとへとなのに、毎日水やりをして花を育てるなんてとてもじゃないけど無理、花を見てきれいだと思うことはあっても名前は全然覚えられないし、クランクアップにもらう花束なども花瓶に移したりするのが面倒だからできればもらいたくないぐらいだった。一度、1メートルほども丈があるサボテンをもらってしまい、まいったなあとため息をついたことがある。でも、思い出した時に水を少しあげればいいだけでまったく難しくないヤツだからと言われたので、よし、それならと意を決して部屋に置いたのに、それすらも腐らせてしまった。めずらしく名前までつけて話しかけたりしていたサボテンが、ある日、ドサリと音を立てて倒れた時はかわいそうで、自分の甲斐性のなさに涙が出た。
 そんな僕なのに、ベランダで花を育てようと思うだなんて、まったく、自分に驚いている。これは、相当に自分の精神状態が幸福である証拠なんじゃないかと思う。あと、これは不遜なようだけれど、“育てる”ということに少し自信が付いてきたのかもしれない。
 それにしても、こんなことがこんなにも楽しいなんて。種を植えて、水をやる。それだけのことなのに、わくわくする。じっと見ていたところでぴゅーっと芽が出てくるわけじゃないのに、いつまで鉢を見ていても飽きない。なんなんだ、これは。
 たとえばテーマパークのようなところに行くとすると、とにかくアトラクションがある方に一刻も早く走って行きたい娘に対して、まず入り口の花壇の花に立ち止まって、「きれいだねー」なんて言う自分がいたりする。おまけに空なんか見あげて「いい天気」なんて言ったりして。なにとぼけたこと言ってンの、空はテーマパークと関係ないじゃん、なんてツッコミを入れられそうな呑気ぶりだが、本当にきれいだと思うんだからしかたない。僕だって若い頃はそんなトコの花壇なんて見向きもしなかった。何千本の花を使った花時計なんつっても、せいぜい「ああ、あるね」と指さし確認してただちに次に移動ぐらいのもんだったのに、今の自分だったら、ほっとけば10分は立ち止まって感心してる自信があるね。そんなことしたら「もう!おとうさんってばー!」って娘が泣いて怒るからしないけど。
 近年、いろんな場面で強く感じるのは、ものの感じ方は年齢と共に変わっていくということだ。きっと脳みそのプログラムは、長い人生のそれぞれの季節をずっと楽しめるように組まれているのだろう。10年もしたら、「お父さん、花に水やってばかりじゃなくて、たまには休みには街に遊びに出なよ」なんて娘に言われるようになるのかもしれない。そして、「うん、でもお父さんは、今はこういうことの方が楽しいんだよ」なんて答えて、「あああ~、年寄りくさいなあ」なんて言われてしまうのかもしれない。そしてその娘も、歳をとった時、同じように花に水をやりながら、「ああ、この感じね」と、幸せを感じるのかもしれない。

 ベランダの「おかあさん花壇」のわきっちょに置かせてもらった鉢たちからは、早くも芽が出てきた。そしたらもう、嬉しくて、そこらじゅう走り回りたくなった。生命の季節だな、とあらためて感じる。娘も、僕と一緒に毎日鉢を覗いては、「オジギソウ、楽しみだねー!はやくオジギ見たいよー!」と大きな声で叫んでいる。