ヴィアン夫人への手紙

 プロットへの感想をありがとうございました。
 人の意見を聞くことで、自分の考えていたことがより明確になるということがあります。あなたからのお手紙は、とても参考になるのと同時に、改めて「この映画をきちんと作らなければ」という快い緊張を感じ、身が引き締まりました。

 この作品を通して描きたいことは、この前に書いた通りですが、もう一度だけ書かせてください。
 これほどまでに「透明な魂」を描いた小説は他にはありません。この作品は、痛切でありながら、人を愛すること、自分に替えてでも相手のためになりたいと思う感情が作品全体から胸に迫ってきます。この透明な魂=愛を伝えることが、今の時代に一番大事なことだと僕は思うのです。
 僕は、人間が宇宙から授かった一番素晴らしいものは、想像する力だと思います。なのに、僕は時折、人間はそれを捨て去ろうとしているように思えることがあります。ほんのちょっと想像力を働かせれば、自分に愛している人がいるのと同じように、世界中のすべての人にもそれぞれ愛している人がいるという簡単なことがわかるはずです。ほんのちょっと想像力を働かせれば、正義という名のもとに人の頭から爆弾を振らせたりは出来ないはずなのに、実際には、人の心は荒み、相変わらず愚行がまかり通っています。もちろん嫉みや怒りもとても興味深い感情ですが、愛だけが少しずつ世界から減ってきているような気がします。それはそのまま人間という生き物から想像する力が弱くなってきているからなのではないかと思うのです。
 すべての不幸は、“想像力の欠如”であると思います。戦争も、権力も、お金を稼ぐという目的だけの労働も、排他的で盲目的な宗教も、すべての不幸はそこからきていると思うのです。
 だからこそ、今の時代において「日々の泡」が大事な意味を持っていると思います。この作品には、いつの時代にも通じる普遍的な愛と自由の素晴らしさが詰まっています。だからこそ、この作品を映画にしたいのです。この作品を通して、もう一度想像力を取り戻して欲しい。もう一度自分の中にある愛を実感して欲しいのです。
 二人が愛し合うというだけで世界は変わる。大事に思う人ができるというだけで世界は変わる。僕は本当にそう信じています。

 また、僕はあなたに、この映画は小説を忠実に映像化するものではないということを、改めて言わなければなりません。
 この小説のめくるめくイメージのすべてを映像に押し込めることは不可能であり、また、そうしようと試みることは、逆にこの小説をひとつのつまらない形に押し込めてしまうことになりかねないと思うからです。
 映像というのは「具体」です。具体的に物を見せながら、見ている人の中にそれ以上のイメージをかき立てさせるのは、非常に難しい作業です。原作がある場合はなおのことです。
 ひとつひとつのイメージはすべて、読んだ人々の心の中にあります。100万人が読んだら100万人のカクテル製造機がある。それを、具体的なひとつの映像にしてゆく時、逆に見る人が自分の頭の中のイメージと照らし合わせて「これは違う、あそこも違う」と間違い探しをするような見方をさせてしまい、細部までを忠実に映像化しようとすればするほど、皆がそれぞれの「こうあるべき」という考えに囚われていってしまい、この小説が望む逆の方向に進んでいってしまう危険が起こるのです。
 僕は、「こうあるべき」という考え方はヴィアン氏のもっとも忌み嫌うものだったと思います。ヴィアン氏がこのシンプルなストーリーに、自由奔放なイメージの装飾を息もつかせぬテンポで展開させたのは、「こうあるべき」という権威的な馬鹿馬鹿しい批評の拒否であり、また純粋な読者に受け取る自由を与えるためだったと思います。この小説を映画にする場合、僕たちが絶対にやらなければいけないのは、小説と同じように、見る人それぞれに自由な想像力を働かせてもらえるような映画にすることです。そのためには、ある程度原作から離れて、大胆な脚色をすることが必要なのだと思うのです。そして、僕自身も自由な発想を広げてゆくことがヴィアン氏に最大の敬意を表することでもあると思っています。
 ただ、これだけは信じていただきたいのは、僕はこの「日々の泡」の形だけを借りて、自分の言いたいことだけを言い放してしまおうとしてるのではないということです。
 この小説を人生の大切な一作として思っている人たちを傷つけるようなことは僕の本意ではありません。僕自身も、この小説を人生の一冊として持っている一人なのです。

 僕がこの映画について、ああしたい、こうしたいというアイデアを広げたり、それが実はこの小説を傷つけることにならないだろうかとふと不安を抱いたりした時、僕はよく、頭の中でヴィアン氏と会話を交わします。僕がひとしきり喋るのをしばらく黙って聞いた後、彼はいつも、ちょっとからかうような笑顔を見せ、「面白そうだからやってみろよ」と言ってくれるのです。「ただ、俺にいちいち解釈を求めるな。そんなつまらないことをするために俺はこの本を書いたんじゃない。それは俺のやろうとしていたこととまったく逆の行為だ。お前にいちいち全部の意味を説明するぐらいなら、俺はこの本を焼くよ。いいか?意味はいつでもお前の中にある。それをやれ。お前が本当にいいと思ったのなら、それをやれ。それと、お前がこの原作をやろうと思った時、少しでも俺の名前や力を借りるつもりがあったのなら、即座にこの企画をやめとけ」
 会ったこともないヴィアン氏が頭の中で勝手に動き出して相談相手にまでなってくれるというのは、ヴィアン氏の偉大さのなせるわざですね、本当に。

※1999年、映画「クロエ」のためにボリス・ヴィアン作「日々の泡」の映画化の許可をもらうべく、ヴィアン夫人とやりとりした手紙の中から一部抜粋。