悪は匿名だ

 
 ナンバープレートにスモークのカバーを貼っている車を見ると、いやーな気持ちになる。
 ファッションとか汚れ防止という口実で売られている物だけれど、実際は視認しにくくするためやオービスに写らないようにという目的なのは明らかで、「交通ルールを守るつもりはないけど捕まるのはいや」みたいなずるさが気持ち悪いのだ。
 そこには「みんなもやってるんだから」という意識がある。「俺だけが悪いんじゃない。そもそも店で売ってるんだし」という言い訳だ。売る方は売る方で、「法には触れてませんよ。それに、あくまでも汚れ防止やファッションとして売ってるのだから。違う目的で使っている方の責任まで持てません」という言い訳が見える。
 簡単に言えば「ずるい」のだ。
 「警察だってずるいんだから、それに対抗しなくちゃ」なんて言い訳が次には聞こえてきそうだが、つまり、言い訳で論点をすり替えて、自分のやっている不正についてうやむやにしようとしている。潔くないのだ。 
 見せたくないなら、真っ黒にしてしまえばいいのに、その勇気はないのが嫌らしい。ああいうのに比べたら、わんわん騒いで目立って追っかけられて逃げきったら俺の勝ちみたいな珍走族の方が、まだ清々しくていいような気がする。
 ねずみ取りをぴーって知らせるレーダー探知機も同じで嫌い。どんなに好い人でも、あれを車内に設置しているのを知ったりすると、とたんに魅力を感じなくなる。ああ、この人はそういう人なのか、生涯この人と親友になることはないんだろうな、と。ああいう物を作ったり売ったり買ったりする人とは、人生を一緒にしたくないな、とよく思う。
 あのプレートカバーは、やっと去年全国的に禁止が決まって、いよいよ今年中に施行になるはずなのだけれど、施行される前日まではOKだろという態度もまた、うす汚くて嫌だ。フロンの時もそうだった。地球にとって重大な影響があることが完全に判明し、各国ではとうの昔に禁止になったにも関わらず、この国では、法で規制が施行されるぎりぎりまでフロン製品は作り続けられ、売り続けられた。そこには「法律に触れているかいないか」という基準しかない。
 だけど、「法に触れていない」イコール「悪くない」という考え方は、どうしたっておかしいでしょ。「法に触れない範囲でずるいことをする人」と、「人を助けようとして結果的に法に触れた人」ならどっちを選びたい? どっちと友達になりたい? ていうか、ずるい人同士の友情って、成立はしないよね。
 法に触れる触れないの攻防では、風俗営業がその最前線だ。「ここに簡易サウナがひとつ置いてあれば、法律的にはOKなんですよ」みたいなうんちくを聞いていると、えーっとなるようなことがいっぱいある。でもそこでは、売春そのものについての論議は横に置かれているのだ。そして、こういう時に必ず出てくる「必要悪」という言葉も好きじゃない。この言葉さえ言っておけばとりあえず間違いないと思っている人が沢山いる。組織や生活を維持させるにはしかたない、と、いう考え方は嫌だけどわかる。でもそれが「悪は必要なんだ」「だからやっていい」という言い訳に変化するのが許せない。そして終いには「騙されるヤツにも責任がある」というとんでもない詭弁にまで繋がってゆく。違う。どんなことがあっても、絶対に、騙すヤツが悪いのだ。必要な悪など、絶対にないのだ。酷い目に遭う人の事情や気持ちを見て見ぬふりをするための理屈を許してはいけないと思う。
 それにしても、あの言い訳の幼稚さは、なんなのだろう。
 消火器の悪徳訪問販売が「消防署の方からやってきました」と名乗るって有名な話があるけれど、「消防署から」のではなく「消防署の方から」なら嘘ではないでしょって、本気でそんなこと思っているのだろうか。それって「言ったって証拠あんのかよ、何月何日何時何分何秒だよ?」って言うガキの台詞と同じじゃんか。
 自分のやっていることの最低さへの自覚は、あるんだろうか?
「やってませんよ」とうそぶいて、追い詰められれば「でも、私だけじゃないですよ」と言う。「私を捕まえるんなら、みんなも捕まえてくださいよ」と不平を言う。自分の罪を反省する気持ちはない。
 犯罪にはそれぞれ事情と理由がある。単純ではあるが、「お腹がすいていたから」とか「ものすごく腹が立ったから」という言い訳は理解できる。でも、「みんなやってるから」というのは事情でも理由でもない。そこにこそ、僕は、本当の悪を感じる。
 やっているのは自分ではないと、みんなの中に隠れようとするヤツ。
 つまり、「悪」というのは、匿名なのだと思う。
 悪いことが大好きで、それを公言し、嬉々として悪いことをやるヤツは、強烈なキャラクターではあるけど、ちょっと悪から外れてしまう。「俺は、人の苦しむ顔がこよなく好きなんだ。だから生涯をかけてそれをやり続ける」なんてことを活き活きした顔で宣言したりしたら、むしろ哲学的なことまで考えさせるキャラになってしまう。だいだい本名を名乗っちゃう悪者って、もうすでに悪者として粗忽だよね。俺がやったぞって本名で自白したら、それでもう逮捕だもん。だから、暴力団の抗争だって、「俺がやりました」って捕まりに行くのは、本名の下っ端。指示をした人はいつも匿名。
 だから、匿名が基本であるインターネットは常に危険をはらんでいる。まったく普通の暮らしをしている人でも、匿名になれば、意地悪な気持ちをぶつけたり、騙ったり、攻撃したりという衝動が起こりやすい。そしてそれは匿名なゆえに、驚くような残虐性にまでエスカレートしたりする。
 自分が傷つかないところから他人を傷つけるという行為が、悪の本質なんじゃないだろうか。悪は、いつでも匿名なのだ。
 悪の欲望は誰にでもある。悪いことをしてしまう可能性は自分にだっていくらでもある。でも、批判されたり捕まったりした時には、せめて「僕だけじゃない」とか「だったら他のみんなも捕まえて下さいよ」とかいうセリフだけは口が裂けても言いたくないな、と思う。「悪かった。ごめんなさい」と謝れる自分でいたい。もしくは、「これに関しては悪いと思っていないので、これからもやるだろう」と。
 悪に取り込まれず、矢面に立つ生き方をしたい。