181

写真が3Dが主流になったら、
心霊写真も3Dになるのだろうか。

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 解はひとつではない。
 ボリス・ヴィアンがよく言っていた言葉はありますかと聞いた時に、未亡人が教えてくれたのが、この言葉。
 いかにも、芸術家だけでなくエンジニアでもあったヴィアンらしい言葉で、
やはり、と腹に落ちるものがあった。
 速く解くことばかりを気にしたり、自分の解の正しさを主張するために人の解を否定するのは愚だ。
 大切なことは、常に別解を探し、できるだけたくさんの正しい解を持っておくことだと思う。

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 考え過ぎちゃ駄目だよって言う人って、
 でも、どこまで考えればちょうど良いのかは言ってくれない。

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 人の喜ぶ顔が見たくて優しくするのと、悔しがる顔をみたくていじめるのは、要は趣味の問題であって、本当はそんなに違いはない。
 そして僕は、たまたま、人の嬉しそうな顔が好きだから、そっちを選んでいるだけだ。

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 「遠吠えをしたい場合は、負け犬の方が都合がいい」なんてのは、どうだろうか。「いやー、誰からも怖がられたり気にされたりしないから、気兼ねなく吠えることができるんで、ちょうど良かったですよ、負け犬でー」とか。その言葉自体がまさに負け犬の遠吠えになっているという、ね。
 まさに、 屁理屈

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名札がつくと、芸術はちょっとだけ輝きを無くす。

187

人生があっという間だなんて、
    日々を噛みしめてない人の言い草だ。

188


スタイルがないことを自分のスタイルにしたい。
こだわりをぎりぎりまで無くすことに、こだわりたい。
「いくつになっても、変わらないぜ」という格好良さにこだわるより、
今は、変わっていく自分を積極的に楽しみたい。

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「ためらい」は、気遣い。
 「もどかしさ」は、繋がりたいという想い。

190


 歳をとればとるほど、 美しいと思うものが
 増える。

191


 こどもって、なんであんなに可愛いんだろう。
  きっと、ほとんどが可愛い成分で出来ているんだろうな。

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なんとなく寂しい日。
  幸福でも、寂しいということはあるものだ。
  だから、寂しさは、不幸じゃない。

193

「ダジャレを言う」というとなんだかふざけてるけれど、
「ライム(韻)を作る」というとなんだか格好よく聞こえる。
親父ギャグばっかり言う人も、「あの人、ライムをよく作るよね」というとなんだか格好良い。

 

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定義遊び” は、面白い。
たとえば
「子供とは、シールの好きな生き物である。」

195

回り道だと思っていたことが 
実は幸福にたどり着くのに必要な道筋だったのだと、
後に知る 

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誰かにかけてもらった一言で救われたことが何度もある。

かけた本人にはそこまでのつもりはなくても、受けとった方は一生その時のことを思いだし、感謝し続けているものだ。
この歳になっても、まだ、人に声をかける練習をしている。
誰かに声をかけられる人間でいたい。

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評論家の機能は「意志のあるデータベース」ということであると思う。
様々な条件で繋がりのある検索が出来て、視点のはっきりした、とても強いコメントがついている。
つまり、作品をきちんと網羅して見ていなければデータベースにはならないわけで、コメントだけついてるのは、とても評論とは認められない。
周りを見回せば、自称評論家ばかり。感想家と言い直してほしいと思う。

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 「アナログ映像フェスティバル」って誰かやってくんないか。
CGを一切使わないで作り上げた驚愕の映像を集めた映画祭。
ぜったい興奮するよ。撮り方を想像することが大きな楽しみのひとつなので、メイキングはついてないの。

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自分の命より大切な存在が出来るということ以上に
幸福なことはないと思う。

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  「そこまでやるか」からが、面白い。