「不器用な人だからといって、誠実とはかぎらない」

 つい、思いがちだけど、ね。
 でも、不器用で朴訥そうな人の中に、意外なほどのエゴを見て、はっとさせられることって、けっこうある。
 急に話し合いをやめて、「私はこんな風にしかできないんだから、これでいいんです」みたいな押し切り方をされた時、「えーっ。それって、不器用を武器にしてないか?」と思う。真っ正面から話し合って理解し合おうと思っていた自分がバカみたいで、「こいつ、俺よりよっぽど器用じゃん」と思ったりもする
 本当に不器用な人は、自分が不器用なことを恥ずかしいと思っているはずだし、器用になりたいと思っていると思う。「自分は不器用だからいいんです」なんて言っちゃう人は、不器用なんじゃなく、つまるところ、傲慢なひとなのだと思う。


かんぴょうが大好物な人って、 いるのだろうか。
「これは……うまい!」と思わず唸ってしまうかんぴょうって、存在するのだろうか。
 いやいや、別に嫌いな食べ物じゃないんだけど、ただなんとなく、あるから食っているだけで、生まれてこのかた、「ああ、かんぴょうが食いたい!」って思ったことないなと思って。

3

"怠ける”というのは、やりたいと思っていることを先送りにすることだ。
つまり、やる気のない人は、”怠けて”すらいないのだ。
やりたいことがたくさんあればあるほど、”怠けている”と感じることも増える。
自分が怠け者だと感じて、落ち込みすぎないほうがいい。
”怠け者”には、”可能性”がある。

4

 誕生日とか記念日とか、もらって当然の日にプレゼントするのは、ちょっともったいないなと思う。
 プレゼントって、思いがけないほうが嬉しいからだ。
 もらえるもんだと思っている人の予想を超えるのは難しい。そこを、考えに考えて、これだっと思った物を送っても、やっぱり「当然」が加わって評価は10%ダウン。この「当然」さえなければ、それこそ本当に飛び上がって喜んでくれたかもしれないのに、なんて思うと、なんか寂しい。


 だから、記念日はいっそ毎回「ケーキ」とか「花」とかにして、そのカテゴリーの中でバリエーションを出すように決めちゃって、プレゼントって、もっと普通の日にあげちゃえばいいと思う。
 だって、「あ、これ、あげたら喜ぶだろうな」なんて物を見かけたら、誕生日まであげるのを待つなんてもったいないないじゃない?その時に買ってプレゼントした方が、あげる方も気持ちが盛り上がる。もらう方だって、予想してないから、嬉しい。
  もらって当然じゃない日こそ、プレゼントしよう。

 ちいさいときに不思議だったことは、いまでもずっと不思議だ。
なんで自分に「気持ち」があるのか。
なんで「自分」と感じるのか。
なんで自分には自分だけの気持ちがあって、なんで他の人ではないのか。

  無から宇宙が生まれたっていうけど、なんで何にも「無い」ところから何かが生まれたりできるのか。「無い」と「有る」って正反対のことじゃないのか?
宇宙は膨張していて、果てがあって、その先には何もないっていうけど、それってどういうことなんだ?そもそも、「何も無い」ってなんなんだ?
 
 子供の頃よく、「世界が自分を中心に回ってると思うなよ」なんて注意をされたけど、どこをどう努力しても、自分には自分の意識だけしかないのだから、自分の世界はやっぱりどうしても自分を中心にしか回っていない。
ただ、自分がそうであるように、他の人にも自分だけの気持ちがあって、自分から見た世界があるのだということはわかる。だけど、本当に正直な気持ちで言えば、誰もが、「世界は自分を中心に回っている」としか言えないはずなのだ。
頭ごなしなモラル論じゃなく、まずそこをちゃんと確認しあい、その不思議さについて話し合うことからしか、いろいろなことが始まらない気がする。

 「終わる」時。
 次々とこなしていかなければいけない作業。そのサイクルの中で、人は生きながらにして「終わって」ゆく。毎日、数えきれないほどの「終わって」いる人を見る。刺激のある生活を送っているはずの人達でも、その割合は変わらないように見える。
 たまたま目が曇っている時期なのか、長い時間の疲れから「心を動かさないように」して休んでいるだけなのか、いずれにしても、何かのきっかけで輝きを手に入れる人に比べ、そのまま完全に終わってしまう人の方が多いことは確かだ。

 人はなぜ「終わって」しまうのか。
 俺は、自ら「終わらせて」いくのだと思っている。環境のせいではないと思う。
 人はすぐ終わる。そしてそのことを自分で気づくのは難しい。

質問。


今より3万円収入が多いとして、彼女とデートで何をする?

後で困るかもしれないことを、

    いま困ってもしょうがない。
 困ったときに困ろう。
 そんな風にじぶんに言い聞かせて、目の前のことだけに集中しようとすることがよくある。

「優柔不断」って実はすごくないか?
優しくて柔らかいのが、決して途切れないなんてさ。

10

 居酒屋で帰る時友人が、「あ、ちょっと待って」と、とっくりから残った酒をコップに注ぎ、きゅーっと飲んだ後、えへへと笑った。
「あたしって、酒にいじきたないんだよね。刺身とかが残ってるのは平気なのに、お酒だけは我慢できないんだ」
なるほどと思った。人それぞれ、刺身だけは残せないとか、米だけは、とか、様々あると思った。その「いじきたない」という言い方がなんともまた良いと思った。
自分はと思うと、あった、あった。オレ、なぜか、そばに付いてくるネギ、全部使わないと気が済まないんだよね。人が残してると、それももらったりする。


 
  君はなににいじきたない?

11

劇場でよく思うこと。
座高の高い人ほど後に来て、人の前に座る気がする。
 
 気のせいだったらそれでいいのだが、もし、科学的に調べてみて、座高の高さが「鈍感さ」に比例するなんて結果が出たら、こわい。

12

 手書きで書くのとワープロで書くのでは、文章は明らかに変わる。

 手書きが頭から一文字一文字置いていくのに対し、ワープロはとりあえず書きたい事柄だけ先にメモのように置いて、それから改めて頭から隙間を埋めていくような書き方になる。
 ワープロは推敲に適しているので、繊細な直しができるが、手書きに比べてなんとなくドライブ感がない文になる気がする。手書きは、「できるだけ直したくない」という気持ちが、ある種の気迫と工夫を生み出し、最初自分が思っていたのとは違う場合が多々あるが、捨てがたい味がある文になったりもする。最近自分は、そういうドライブ感やワイルド感が文章にほしくて、わざと万年筆で書いてみたりしている。

13

シルバー割引のおかげでずいぶん年配の方を映画館で見かけるようになったが、
 スプラッター映画をひとりで見に来ているおばあさん

って、なんだかこわい。 

14

言葉が出てこなーい!


「あの、ほれ、なんだっけ、ほら、歩道橋の逆!」
「歩道橋の逆?」
「あ、思い出した。地下道だ」
 
  地下道は歩道橋の逆なのか?

15

「鈍感」について。
 
 駅のホームで「先ほど××駅で人身事故があり……」というアナウンスを聞いて、「またかよ」と舌打ちをする自分に気づき、ぞっとしたことがある。
 おそらく間違いなく、そこでは人が死んだのだ。そして、事故にあった人はひとりひとり違う人生を背負っている。にも関わらず、あまりの人身事故の頻度に感覚が麻痺してしまい、「またかよ」と思う鈍感さ、想像力の貧しさ。人の死より電車が遅れることの方を気にした自分が嫌になる。
 でも、たとえば連日続くイスラエル軍のガザ爆撃を思い出す時、その爆撃の下で逃げまどい、子を亡くし親を亡くし泣き叫ぶ人々のことを少しでも想像してしまうと、胸が引き裂かれ、いてもたってもいられなくなり、もう本当に何も出来なくなってしまう自分がいる。できるだけ想像しないようにするしか、日常生活を送る方法が見つからない。
 どうやったら「鈍感さ」というものと折り合いがつくようになるのだろうか。

16

七面鳥には、大雨の時に天を見上げて口を開ける習性があり、
そのため、大雨の時に溺死してしまうものが多い という。
 
 なぜ? その習性にはいったいどんな意味があるのだろう。
 その習性は、七面鳥にとって、どんな部分で役立っているのだろうか。

17

変なこと聞くけれど、
割合を表す「%」は、100で「すべて」だよね?
 なのに、いつもテレビで「120%満足しています」とか「200%本気ですよ」とか言ってるのはどうして?
「100%」っていう人って、なぜか一人もいない。
「麺増量120%(当社前年比)」ならわかるけど、「幸福度200%」って、いったいどんな幸せなんだ?
 こういうのを聞くたびに、数学者ってイライラしないんだろうか。
 オヤジギャグみたいなもので、親近感のある慣用表現なんだろうか。
 いずれにしても、「○△度××%」っていう言葉を聞いて、「ああ、いい表現だなあ」と思ったことは、僕には一度もない。

18

 男が「仕方ないよ」と言う時は後ろ向きだけど、

 女が「仕方ないよ」と言う時は、
          前向きな気がする。

19

ほんのちょっとの実験で、一日は大きく変わる。
 たとえば、”一日中「絶対」という言葉を使わない”という実験をしてみると、予想以上に大変な一日になる。他にも、普段よく使う一言を一日封印するだけで、生活は俄然緊張したものになり、また、脳が活性化するのか、新しいものが見えてくることも多い。
 他にも、「でもさあ、」という言い出しとか、「〜的」「ある意味」「要するに」「〜じゃない?」なんて言葉を封印してみるのも、面白い。

20

 今までの恋愛を思い返して自分で分析してみたら、冬は必ず太った男性とつきあっていたという女性がいた。
 「きっと、あったかそうだったのね……」って。
 なんとなく、そういうことって、あると思う。