『今日を歩く』 いがらしみきお

 
 今年最初に読んだ漫画、いがらしみきお『今日を歩く』があまりに良くて、数日たっても、まだその感動に浸っている。
 15年間、自宅周辺の同じ道を毎日散歩しているという作者の「歩く定点観測」の漫画なのだが、一見、エッセイ漫画のようでありながら、実はとんでもない、濃密な漫画だった。一コマ、ひと言がどれも緻密に計算され、心地よい緊張感が漂っている。隙間の多い絵なのに、とてつもなく濃く、漫画なのに、音や時間までコントロールしていると感じる。なんでそんなことができるのかわからないが。いがらしみきおさんは、きっと古今東西の映画を膨大に観ていて、その感覚を取り入れつつ、その上で、漫画にしかできない表現に昇華させているんじゃないかと想像する。まさに天才だと思う。
 いつもの散歩の、穏やかに見える風景から、いがらしみきおさんは、闇、きらめき、ギャグ、哲学、宇宙などをひょいひょいと取り出してみせる。半径5kmの生涯でもすべてのことを感じてすべての幸せを手に入れられると日頃から考えている僕には、まさに「我が意を得たり」。僕の伝えたいことは全部ここに詰まっているので、この人が世界にいてくれるなら、僕はもう何も書かなくても撮らなくてもいいです、みたいな気持ちにさえなる。
 いがらしみきおさんの作品は、『ぼのぼの』はもちろん、その前の『ネ暗トピア』からずっと読んできた。数年にいっぺん、自分の中にブームが来る。ふと思い出して調べてみると(たいがい精神的に迷ったり弱っている時期)、たいがい何冊か新刊が出ていて、貪るように読む。読むとしばらくそれに取り憑かれて、ぼーっと思索する日々が続き、やがて体の内側からむくむくと、これからを生き続ける力が湧いてくる。
 『かむろば村にて』も『I【アイ】』も、とてつもなく素晴らしい。
 作品のほぼすべてが傑作であるというのは、奇跡のようなことで、才能だけじゃなく、強靭な意志も必要だと思う。すごいなあと思うのは、人気絶頂の中にありながら2年も休筆したり、それまでとまったく違うものを、絵柄まで完全に違えて描き始めたり、自分の描きたいものに対して真摯で、挑戦を恐れない姿勢だ。
 いがらしみきおさんは、僕が考える『一番えらい人』のひとりだ。
 僕の『一番えらい人』はたくさんいて、たとえば他には、原マスミさんや、忌野清志郎さんや、幸田文さんや、テオ・アンゲロプロスさんみたいな人がいるけれど、その話はまた今度するとして、とにかく、そういう人たちは、自分がやりたいこと、やるべきことから決してブレない。孤高の人だ。
 たとえ売れても、欲を出して乗っかったりしない。「いやあ、やりたいことがいっぱいなんで、そっちをやってると、もう時間がないです」みたいに言う。新作の評価が低くても、日和って自己模倣を始めたりしない。淡々と自分が信じたことをやり続ける。穏やかでにこやかな凄みがある。僕らにではなく自分に向かい合っている。
 だからこそ、僕らを次の場所に連れていってくれるのだ。
 そういう孤高の人たちには、そういう人だけが手に入れられる、人生のご褒美があるのだと僕は思う。金や名誉以上のもの。そういう人にしか見られない新しい景色と人生の感動が手に入るのだと思う。
 ああ、そういう人にワタシはなりたい。
 ふふ、ここまで書いたら、読みたくなったでしょう。ぜひ、読んでください。
 あ、ただ、中古ではなく新品をね。新品じゃないと、回し読みと同じで、作者に印税は入らないから。絶版で手に入らないなら別だけど、たとえ作者が「読んでくれるなら、お金にならなくてもいいです」と言ったとしても、こういう人が作品をずっと作り続けられるように、必ず新品を買うのが彼らに対する誠意と感謝だと思う。