ト書きの一行から

 
 先日、法廷のシーンがあって、弁護士の席から周りを見渡しながら、向かいの検事を始め、裁判官、被告、証人、被害者家族、報道記者など、いろんな役であらゆる席に座ったなあと思って、面白くなってしまった。
「昔はよく被告席にいたのになあ。最近はすっかり権力者側の人間になってしまって」
なんて言って共演者と笑ったが、本当にずいぶん様々な役柄をやらせてもらってきたものだと思う。凶悪な犯人をやらせてもらうこともあれば、ふにゃふにゃ笑う人畜無害のお父さんの役をふってもらうこともあり、同じイメージの役に自然とおさまっていくことの多い日本の中では、役の幅の広い方なんじゃないかと思う。ありがたいことだ。
 とは言え、年齢によってある程度の傾向はもちろんあり、50代の今は、やはり父親役か、会社なら中間管理職あたりから徐々に幹部の役が多くなった。会社なら部長よりもうちょっと上の、専務あたり。刑事ものなら、地回りの刑事より、捜査本部に詰めている管理官のような立場の役が増えてきたように思う。社長もたまにあるけれど、会長とかはさすがにまだない。孫のいる役もまだない。多分60代になると、そのあたりもやれるようになるのだろう。おじいちゃんとか会長とかいう役には個性の強いものが多いから、今から楽しみだ。
 近年やっている役は、若い主人公に立ちふさがる壁であったり、上からの理不尽な指示に翻弄されたり、「中間」の役が多い。いわゆる「板挟み」の立場で、時には下克上を企んで逆に罠にはまり追い出されるなどもあるが、物事をガンガン解決していくというより、葛藤しながら状況をやり過ごしつつ更に上を目指しているような役どころが多く、そのあたりの葛藤は演じていて面白いところだ。年上とも年下とも絡むので、けっこう飽きない。けれど、本当に「ただの上司」ということもある。設定上必要だけれど、ストーリーの根幹には関わらない、いわゆる普通の上司という役柄。ワンポイントで1シーンのみという場合もある。なんとなく見たことのある顔で一応貫禄あるように見える人を配置しておきたいということでオファーされるのだと思うけれど、こういう時は、役柄の特徴を掴むのに多少苦労する。もちろんオファーの意図を考えれば、無難に普通にやれば問題ないのだろうけれど、どんな役であれ、違う人生を送ってきた別の人間を演じるのだから、せっかくだからきちんと、今まで演じた人間とはまったく違うつもりで存在したい。
 じゃあどうするかというと、どんな役でもとにかく、まずは脚本を何度も細かく読み込む以外にない。
 僕は常々、「すべてのヒントは脚本の中にある」と言っているのだけれど、本当に、ト書き一行の中にもヒントがあるのだ。
 たとえば、主人公が何か大事なことを訴えようか迷っている場面で、思い切って言いかけようとする主人公に、
上司「(制止して)君には期待しているんだ」
  肩をポンと叩いて去って行く。
と書いてあるとする。
 さしあたっての情報はこれしかない。何か含みがありそうな気がするけれど、この場面だけでは、良い人なのか悪い人なのかもわからない。ストーリー的に大事なのは主人公が大事なことを言えなかったという部分で、上司があまりに良い人過ぎて言い出しにくかったのか、それとも高圧的だったから言えなかったのかは、おそらく会社の体質に関わってくることなので、自分の出ていないシーンもくまなく読んで正解を見つけていかなければいけないのだけれど、でも、会社の中には良い人もいれば悪い人もいるわけだから、どっちでいくかは選択の余地のあるところだ。こう見せたいという監督の演出意図もあるだろうから、これから話し合いによって人物を作りあげていくのだけど、さしあたって衣装合わせまでに自分の役に関して一人で研究できる材料としては、このト書きしかない。さあ、どうしよう。
 少なくともわかるのは、この人物は、他人の体に触ることができる人物だということだ。肩をポンと叩くのだから。ここがまずヒントになり得る。人によっては、他人の身体に触れることなどまっぴらだという人もいるだろうに、この人物は、主人公の肩にポンと手をおいているのだ。
 まず、少なくとも潔癖症ではないということがわかる。それから、少なくとも、相手に触っても嫌がられないと思っている人物。自分に自信があり、もしかすると、けっこう鈍感な面もありそうだ。この地位まで上ってきたのだから頭は良いかもしれないが、何かを言いかけたのを制止するぐらいだから、繊細で神経質ではなく、積極的に何かを聞き出そうとする人でもないから、危機意識は薄いと見ていい。肩を叩いたのは気さくさを出そうとしたのかもしれないが……。(制止して)と書いてあるけれど、この人はどんな風に制止するのだろう、手で制止するのか首の振りか目の動きだけで制止するのか、それこそ相手の腕を掴んでしまうのか、どんな動きがこの人物に向いているのだろう……などと、少しずつ、その人物の性格や癖を探っていく。
 こうして、推理小説を読むがごとくに、脚本の中にヒントを探して行って、それを手掛かりに人物を想像していった結果、ある時に「あ、これかもしれない!」と、イメージが浮かびあがってきた時は、なんともいえない快感を感じる。
 時には、それが急ごしらえで書かれた荒い脚本だったりすると、脚本家が意識せずに書いたト書きもあるだろうけれど、とにかくまずはそこを手掛かりに人物を作っていくのが、俳優としての誠意であり、面白さだと僕は思っている。監督と話し合って役をどんどん膨らませていくことはよくあるけれど、あくまでも脚本に書かれてあることを元に発展させることを自分に課し、台本にはない設定を勝手に作って持ち込むような、失礼なことはしない。
 役者さんの中には、簡単に「こんなこと言えない」と言ったり、勝手に自分の好きな感じに変えてしまう人がいるけれど、僕は「どういう言い方をすれば、こんなことを言えるのか」を考えるのが面白いし、そこが役者の領域だと思う。簡単に言ってしまえば、「好き」という台詞の言い方ひとつで「大嫌い」を表現することもできるわけだし、その複雑な内面を一瞬で体現できるのが役者という仕事の面白さだと思うのだ。だから僕は、あくまでも脚本を手掛かりに、できるだけ多くの情報を集め、それと格闘して、答えを見つけたい。
 

(2018年5月)