12時仮定法

 
 楽しい現場ばかりじゃない。連日の疲れが溜まってみんながギスギスしている現場もある。必要以上に下の者を罵倒する奴や、注意されるとムッとして自分のせいじゃないと主張し始めて現場を停滞させてしまう奴や、完全にやる気を無くしてしまっている奴など、嫌な空気が充満している最悪の現場に出喰わしてしまうこともある。
 10年ほど前のその日も、あれは栃木の方の現場だったか、時間はもう夜の11時になろうとしていたところだった。その日の撮影が終わるのは深夜になるのは確実で、翌日も早朝から入っているから睡眠不足がさらに増すのはわかりきっていたし、最早、少しでも良い作品にしていろいろなことを観る人に感じてもらえるようになんて考える余裕などカケラもないような現場だった。
 ああ、こんな現場居たくないなあ、と、機材の調整を待ちながらぼんやり思っていた。人生いつ死んじゃうかわからないのに、こんな嫌な空気を持つ人たちと一緒の時間を過ごすのはもったいない、もしこれが人生最後の現場だったら本当に嫌だなあと思った。
 眠気のせいか、ふと思考が浮き始めた。ちょうど今夜12時に死んでしまうとしたら……。最後の1時間はやっぱり家族と過ごしたいな。たとえ1時間ですべてが無くなってしまうとしても、家族の顔を見ながら終わりたい。大好きだと伝えて、ぎゅうっと抱きしめあって、愛おしさの気持ちいっぱいで最後の瞬間を迎えたい。でも、あと1時間ではどんなに車を飛ばしても家に帰り着く前に死んでしまう。中途半端な道端で死んじゃうのはそれこそ嫌だな。じゃあ、どうしよう。あと1時間で死んでしまうから家族に電話をさせてくれと言う? 作品に迷惑をかけたくないから12時までに自分の出番だけなんとか撮り終わってくれと言う? どうせ死んじゃうんだったらそんなこと関係ないと、今までの不満をありったけ怒鳴り散らしてみる? 役者の面白いところは、こういう時、どんなに突飛な設定でも、その状況に本当に置かれたらどんな感情になるのかをリアルに想像していくことができることだ。本当にこの1時間しかないとしたら? 僕は、この思考実験のため、自分の心の奥を探っていった。
 まずは、心を落ち着けようと、両手を少しだけ広げて、幼い我が子を膝の上に置いてそっと抱いてみた。イメージの我が子であっても、リアルな体温と柔らかさを感じて、愛おしさがこみ上げてきて、それだけでも周囲のギスギスから離れることができた。僕は我が子に「お父さん、あと1時間で死んじゃうんだけど、どうしたらいいだろう。どう過ごしたらいいだろうね」と心で話しかけてみた。このイメージが多分うまく作用してくれたんだと思うけれど、不安と恐怖と悲しみはそれでほとんどなくなった。
 イメージの我が子が向こうから抱きついてくれたり肩をすくめたり困ったねと見つめてくれたりするのを感じながら考えるうち、どうしてもこの周りの人たちと1時間を過ごさなければいけないと思ったら、面白いことに、捨て鉢になるというより、なんだかだんだんあきらめがついてきて、ついに気持ちが向こう側に抜けた。妙に明るいというか、穏やかな気持ちがやってきた。他にどうしようもないのなら、やっぱり、何かがより良くなるために過ごそう。周りの人がどうであれ、自分は機嫌よくしていよう。あの人最後まで機嫌よかったなって印象を残して死のう。誰かがそれを家族に伝えてくれるかもしれないし、一人ぐらいはあんな風になりたいなって思ってくれる人だっているかもしれない。演技する役者の目線の先に立って不機嫌そうにしてるあのスタッフにも、腹を立てず、「ほんのちょっとだけ横にずれてもらえるかな。その方が演技に集中できるから。ごめんね、ありがとう」と、機嫌よく言おう。自分が残す最後のメッセージなんだと思えば、柔らかく諭すように言えるはずだ。その時はわからなくても、いつか気づいてもらえればそれでいいや。要は、自分が気持ち良く死ねるかどうかだ。もし本当に死ななくちゃいけないんだったら、イライラした気持ちを最後の感情にして死にたくない。家族と居られないにしても、晴れやかな気持ちで死にたい。そこまで考えが至ったら、すうーっと心が見事に軽くなった。
「利重さん、いつ見ても楽しそうにしてますね」と現場でよく言われるようになったのは、それからじゃないかなと思う。「うん。現場が好きだからね」と僕は応える。たまにひどい雰囲気の現場に行き当たって、一瞬引きずられそうになった時も、この12時仮定法と想像の抱擁をすると、気持ちが元に戻る。
 そういえば、大杉漣さんもずっと機嫌よかったな、と思い出す。誰とでも仲良くお喋りをして、どんなにハードな現場でも、ずっと面白いことを言い続けて笑っていた。機嫌の悪いところを一度も見たことがなかった。あれ、きっと漣さんもそう生きようってある時に決めてたんだな。数々の現場が漣さんのおかげで良くなったと思う。漣さん、冥福を祈ります。
 

(2018年7月)